文化財防火デー

毎年1月26日は「文化財防火デー」です。今年も各地で文化財を火災から保護する上での訓練が行われました。


昭和24年(1949)1月26日、現存する世界最古の木造建築である法隆寺(奈良県斑鳩町)の金堂が炎上しました。

昭和9年に開始した法隆寺「昭和大修理事業」における金堂の保存修理工事の一環で、堂内に描かれた壁画の模写作業を行っている最中の出来事でした。

「昭和大修理事業」の中でも金堂と五重塔の保存修理工事は終盤に置かれており、それらの保存修理工事は事業規模も大きく社会的注目度も高い、日本近代における建築保存のあり方を考える上で重要な保存修理工事だったといいます。そのため、金堂の修保存理工事は「昭和大修理事業」における集大成的な意味合いを持っていました。

ところが、惜しくも金堂の保存修理工事の一環で行っていた壁画の模写作業中に火災に見舞われてしまいました。

火災に見舞われた時点では、金堂の保存修理工事は解体の途中であり、壁画の保存対策について方針や方法が決まっていないことから初層のみが未解体で、画家たちによって堂内に描かれた壁画の模写が進められている状況であったといいます。そのため、金堂の建物は初層部分を焼損し、堂内に描かれた壁画を焼損してしまいました。

幸いにも初層の裳階部分と上層のすべての部材は火災を免れ、堂内に安置されていた釈迦三尊像や薬師如来像、阿弥陀三尊像などの仏像は保存修理工事にあたりほかの堂宇に移動していたため、焼損を免れることができたといいます。火災で焼損した初層の柱などの部材や壁画は、境内に新築された収蔵庫に移動され、現在も保管されています。

金堂の保存修理工事は、そのような大惨事に遭いながらも昭和29年11月3日に竣工を迎えました。


この火災は、日本の文化財保護の歴史における象徴的な事件であり、国民に強い衝撃を与えました。

火災などの災害による文化財保護の危機について考える契機となり、翌昭和25年の文化財保護法を制定するきっかけとなりました。

そして、文化財保護行政が確立するとともに文化財保護の思想の一層の強化と徹底を図るため普及啓発事業が行われるようになりました。

その一環として、金堂が焼損した日であること、1月2月が年間を通して最も火災が発生しやすい時期であること、などから昭和30年に当時の文化財保護委員会(現在の文化庁)と国家消防本部(現在の消防庁)が1月26日を「文化財防火デー」と定めました。

それ以降、火災や震災、その他の災害から文化財を守るとともに、全国的に文化財防火運動を展開し、国民一般の文化財愛護に関する意識の高揚を図っています。

昭和30年に第1回文化財防火デーを迎え、以降、毎年1月26日を中心に、文化庁、消防庁、都道府県・市区町村教育委員会、消防署、文化財所有者、地域住民が連携、協力して全国で文化財防火運動が展開されています。

金堂の出火原因は、公式では壁画の模写作業にあたっていた画家が使用していた電気座布団の漏電によるものとされていますが、本当の原因は分かっていないようです。

火災は、いつどこで何が原因で出火するか分かりません。

人類の財産である文化財の保存においては、火災からの保護が大きな課題のひとつに挙げられています。

そして、火災から文化財を保護する上で、消防用設備の設置などの対応も求められています。

当社の代表奥崎は、会社を先代から引き継ぐ以前は、歴史的建造物を取り扱う「建築史」という学術的領域で活動をしておりました。

文化財の保存について考える領域にいたので、文化財を火災から保護するという課題は身近な問題であり、注目しているテーマです。

消防用設備に関わる仕事は、文化財の分野においても必要とされております。

今後、文化財の防火という問題がどのように進展していくのか注視していきたいです。